第1回 市井人が織りなす文学史

 今、小樽の街は静かです。
 つい数ヶ月前まで、多くの観光客や地元の人が行き交っていた街路には、人影もまばら。いつも旧手宮線のレールの上を、平均台のようにバランスをとりながら、楽しげに歩いていた子供たちの姿も見えません。明るい日射しだけが線路に満ちています。
 休館中の事務室でキーボードを叩いていると、この街に〈賑わい〉があったこと自体、遠い夢だったような気がしてきます。

 しかし、今から百数十年前の小樽は、昨今とは比べ物にならないぐらいの活気に満ちていました。いえ、明治・大正時代だけではなく、その勢いは続きに続き、昭和40年代に産業エネルギー転換(石炭→石油)によって炭鉄港・小樽から多くの企業や銀行が去るまでは、ここは、地熱のように内側から沸き上がる熱気に溢れた街でした。

 え、「歌うことなき人々の声の荒さ」ですって? 確かに、小樽についての、そんな言葉もありましたね〈注1〉。しかし、それは表面的な印象というもの。小樽の人は、ちゃあんと〝歌う〟ことを知っていました。伝統的で雅びな情趣を美しく詠いあげる人もいれば、荒々しいなりに、力強く真情を吐露する人も居て…。それぞれが自分なりのやり方で、歌ったり、書いたり、表現したりしていました。それが、昔の小樽の人々だったのです。

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