第1回 市井人が織りなす文学史

 今、小樽の街は静かです。
 つい数ヶ月前まで、多くの観光客や地元の人が行き交っていた街路には、人影もまばら。いつも旧手宮線のレールの上を、平均台のようにバランスをとりながら、楽しげに歩いていた子供たちの姿も見えません。明るい日射しだけが線路に満ちています。
 休館中の事務室でキーボードを叩いていると、この街に〈賑わい〉があったこと自体、遠い夢だったような気がしてきます。

 しかし、今から百数十年前の小樽は、昨今とは比べ物にならないぐらいの活気に満ちていました。いえ、明治・大正時代だけではなく、その勢いは続きに続き、昭和40年代に産業エネルギー転換(石炭→石油)によって炭鉄港・小樽から多くの企業や銀行が去るまでは、ここは、地熱のように内側から沸き上がる熱気に溢れた街でした。

 え、「歌うことなき人々の声の荒さ」ですって? 確かに、小樽についての、そんな言葉もありましたね〈注1〉。しかし、それは表面的な印象というもの。小樽の人は、ちゃあんと〝歌う〟ことを知っていました。伝統的で雅びな情趣を美しく詠いあげる人もいれば、荒々しいなりに、力強く真情を吐露する人も居て…。それぞれが自分なりのやり方で、歌ったり、書いたり、表現したりしていました。それが、昔の小樽の人々だったのです。

 例えば、明治から昭和期にかけて、高田紅果(たかだ こうか)という人物が小樽に居りました。歌人であり、小説も書いた人です。
 まだ十代の半ば、明治30年代末頃から短歌を詠み始め、同好の仲間たちと、道内で最も早い時期の文芸雑誌とされる『詩と創作』(明治44年)を世に出しました。その後も文芸雑誌『海鳥』『白夜』『おれたち』等を続々刊行。
 その一方で、小樽の同世代の若手芸術家たちとも親交を持ち、小樽や札幌で展覧会を開催。かと思えば、文化団体〈小樽啓明会〉で活躍し、東京などから著名な思想家や学者を呼んで講演会で話してもらい、さらには西洋音楽の普及に尽力して小樽でのコンサートをマネジメントするなど、驚くほど精力的に文化活動に取り組んだ人でした。
 では、彼の本業は何かというと〝保険屋さん〟です。保険といっても海上保険が中心で、いわば国際貿易に関わる仕事をするバリバリの実務者。そして、彼の文学仲間も、多くが商店の息子や店員、会社員だったのです。

 「いや、それは、その高田さんやお友達が珍しいタイプだったからでしょう」とお思いでしょうか?
 ところが、ここに、また別な例もあります。

 小樽は、短歌はもとより、俳句の結社も多いところでした。特に、明治末期に俳句の革新運動が伝わってからは、句会が一気に増加。大正時代に発足した会が29、昭和前期(終戦前)が23、昭和後期(終戦後)にも29を数えます。もちろん、短期間で解散したものから長く続いたものまで様々ですが、各時代間の重複を数えずにこれだけあったのですから、すごいものです。
 しかも、驚くのは〈職場句会〉の多さ! 
 大正から昭和後期まで、その数なんと30。小樽貯金支局の「辛夷会」、煙草専売局の「さびた会」、北海製罐の「白鯨会」、小樽新聞社の「へちま会」等々、実に様々な職場の方々が俳句を詠み、俳誌も発行していました〈注2〉。現在は高齢化の影響もあって、さすがに句会や結社は少なくなりましたが、それでも小樽俳句協会の方に伺うと、愛好者の数は決して札幌にひけをとらないとのこと。人口自体は札幌市の約18分の1であるにも関わらず、です。

 この、街に根づいた文学トピックの多さと、そこに関わってきた市井の人たちのバイタリティこそが、小樽という街の、本当の面白さのみなもとなのではないでしょうか。このことを顕彰するモニュメントは何もありませんが、ある意味で、往時の雰囲気を残している小樽の街角そのものが、彼らにとっての記念碑だとも思えるのです。

戦前の絵葉書「小樽港の偉観」 個人蔵

 従来、文学館の展示においては「あの頃の小樽」シリーズで少しずつご紹介していた、街の発展や変化と共にたどる文学史。展覧会を開くことができない今回の自粛期間をきっかけとして、私は、この〈小樽人の文学史〉を、web上で少しずつ発信してゆこうと思い立ちました。
 なお、小樽はもともと、日本全国からの色んな人々の出入りが、すなわち活力のジェネレーターとなっていた街ですから、この稿での〈小樽人〉には、生まれ育った人だけではなく、立ち寄ったり暮らしたりした人々も含まれます。そしてもちろん、老若男女の別はありません。それでは、どうか気軽におつきあいください。

市立小樽文学館学芸員 亀井 志乃

〈注1〉石川啄木「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」
    『一握の砂』(明治43年)所収。小樽水天宮啄木碑の碑歌(昭和55年建立)。

〈注2〉参照:小樽俳句協会『小樽の俳句』(昭和53年)

“第1回 市井人が織りなす文学史” への1件の返信

  1. ネットで調べ物をしていたら、たまたまこのページに来たのですが、とても面白くて一気に18回全部読みました。亀井館長が古典芸能にお詳しいとは知りませんでした。今後の企画展にも期待しています。ただ2020年は14回アップしているのですが、今年はたった1回。少なくても3カ月に1回くらいはアップして今の小樽の話もお願いします。と、言うか昔出来た文化人の団体がドンドン解散して記録が無くなっているので、早く小樽の歴史として記録に残して欲しいと思っています。よろしくお願いします。

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