第15回 小樽人の歴史リテラシー

 これまで小樽の演芸について語ってきたのは、単に〈越後久左ヱ門とその仲間たちがすごい!〉ということをお伝えしたかったからだけではありません。
 もちろん、人間的に魅力のある方々ですし、活躍の様子がわかればわかるほど、その活気とワクワク感が伝わってきます。しかし、それ以上に私は、〝そういう芸能面での活躍が出来る人たちが自然に現れてくるほど、ここ小樽に住んでいる人たちのポテンシャルは高かった〟という事を、広く発信したかったのです。

 小樽での興業環境については、第3回「演芸館が〈濃い〉小樽」と第9回「小樽の演芸館と、踊る商店主」でも少し触れましたが、ここでは改めて、〝ある日の小樽の市井人〟を想定してみることにしましょう。

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第9回 小樽の演芸館と、踊る商店主

 では、項を改めまして、小樽の演芸館と市井の人々との関わりについてお話しさせていただきます。〝それは、文学とは何か関係があるのですか〟と? もちろん、これは、文学の享受の仕方にも関わるお話です。その事については追々と触れてゆくこととしまして……。
 今回は、小樽の花園町で陶器店を営んでいた越後久左ヱ門(えちご きゅうざえもん)氏(明治17・1884〜昭和43・1968)についての逸話を中心にお話を進めてゆきたいと思います。

 江戸時代の影響が色濃く残る〈芝居小屋〉の頃から、新劇・映画なども掛かるようになる〈演芸館〉の時代まで、演(だ)し物として庶民に人気だったのは、新内(しんない=新内節)、義太夫、浪花節などでした。三味線などで伴奏をつけ、唄うような節回しでストーリーや情景を語る、語り芸が大人気だったのです。
 その語りに人形で振りをつければ人形浄瑠璃、人間が演じれば歌舞伎。そのように考えると、歌舞伎も語り芸の一つの発展形と見てもいいのかもしれません。もちろん、講釈もその中の一つに入りますし、パロディ的に面白おかしく語れば噺(はなし)、いわゆる落語にもなるわけです。

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