第9回 小樽の演芸館と、踊る商店主

 では、項を改めまして、小樽の演芸館と市井の人々との関わりについてお話しさせていただきます。〝それは、文学とは何か関係があるのですか〟と? もちろん、これは、文学の享受の仕方にも関わるお話です。その事については追々と触れてゆくこととしまして……。
 今回は、小樽の花園町で陶器店を営んでいた越後久左ヱ門(えちご きゅうざえもん)氏(明治17・1884〜昭和43・1968)についての逸話を中心にお話を進めてゆきたいと思います。

 江戸時代の影響が色濃く残る〈芝居小屋〉の頃から、新劇・映画なども掛かるようになる〈演芸館〉の時代まで、演(だ)し物として庶民に人気だったのは、新内(しんない=新内節)、義太夫、浪花節などでした。三味線などで伴奏をつけ、唄うような節回しでストーリーや情景を語る、語り芸が大人気だったのです。
 その語りに人形で振りをつければ人形浄瑠璃、人間が演じれば歌舞伎。そのように考えると、歌舞伎も語り芸の一つの発展形と見てもいいのかもしれません。もちろん、講釈もその中の一つに入りますし、パロディ的に面白おかしく語れば噺(はなし)、いわゆる落語にもなるわけです。

 さて、昔の小樽といえば、演芸館の多い街でした(第3回 演芸館が〈濃い〉小樽)。明治後期ともなれば、街中にある演芸館で、関東・関西から来る芸人や噺家(はなしか=落語家)が、毎日のように演し物をかけていました。
 そこでの上演のお決まりは、本題に入る前の〈前座〉です。集まった観客の気分を上げて、本題を観る・聴く期待感を高めるために、芸人さんが、短い、気の利いた踊りやちょっとした芸を幾つか見せる。これは、現代の寄席でもほぼ同じ形式と思われます。
 
 前座は、メインの演し物を演じる芸人が自分でやることもあれば、一座の若手が舞台慣れのためにつとめることもありました。ただ、いずれにしても通常は、芸のプロである玄人(くろうと)が演(や)るものです。
 ところがここ小樽では、その踊りを、小樽の市井人、つまり街に住む芸の素人(しろうと)がつとめていたというのです。カネ久(かねきゅう 屋号はヿに久)越後陶器店の店主・越後久左ヱ門も、その一人でした〈注1〉

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